gyutanyaroのブログ

日々のつれづれを。

2023 思うこと

本日1月9日。
我が家ではまだ、年末年始モードが続いている。
クリスマス後から初孫+長女、そして次女来訪中。
大晦日前には、次女だんなが一泊して帰宅。
本日は、長女だんなが二泊した後、ただいま単独にて帰阪。
そろそろ娘たちも、戻るようなので、楽しく賑やかだったこのお正月が終わろうとしている。


コロナと戦争で思わぬ、物価高を味わっているこのところだが、長く務めて来た仕事とも、関わり方が大きく変化し始めた年にもなった昨年だった。年齢からして、動揺するような事案でもないので、来るものが来たかといった気持ちでその日を迎えたが、結局、変化したのは自分の給与だけと、相変わらず自身の身にふりかかる世の理不尽さに、せめてもの抵抗は、何を言われても顔の表情を変えない特技での対抗措置。


年末には、賀状欠礼に驚かされた。またしてもこの世に神はいないのか、と咄嗟に頭をよぎったほどだった。正月だ、めでたいだ、松の内は、などとそんなことどうでもいい、と思い遺族となった彼と10数年ぶりに待ち合わせたのは墓地の駐車場。
記憶とはありがたいもので、彼らと濃密な時間を過ごしていた30年以上前に、ひょいと戻れるのがありがたい。悼む、ただ悼む。亡くなった彼女と、看取った彼のために。


彼とは、きっとこの先、再び悪友として時間をともにすることが多くなるのだろうと思う。
いつもその年齢にふさわしい最適解を求めてきたつもりだが、初孫をむかえ、黄泉の国へ旅立つ人を送り出し、そして悪あがきしながらも、自分もその日に向かって、答え探しをする毎日。これぞ、年齢にふさわしい毎日の過ごし方なのだと、一人納得していた今日だった。