gyutanyaroのブログ

日々のつれづれを。

2023 思うこと

本日1月9日。
我が家ではまだ、年末年始モードが続いている。
クリスマス後から初孫+長女、そして次女来訪中。
大晦日前には、次女だんなが一泊して帰宅。
本日は、長女だんなが二泊した後、ただいま単独にて帰阪。
そろそろ娘たちも、戻るようなので、楽しく賑やかだったこのお正月が終わろうとしている。


コロナと戦争で思わぬ、物価高を味わっているこのところだが、長く務めて来た仕事とも、関わり方が大きく変化し始めた年にもなった昨年だった。年齢からして、動揺するような事案でもないので、来るものが来たかといった気持ちでその日を迎えたが、結局、変化したのは自分の給与だけと、相変わらず自身の身にふりかかる世の理不尽さに、せめてもの抵抗は、何を言われても顔の表情を変えない特技での対抗措置。


年末には、賀状欠礼に驚かされた。またしてもこの世に神はいないのか、と咄嗟に頭をよぎったほどだった。正月だ、めでたいだ、松の内は、などとそんなことどうでもいい、と思い遺族となった彼と10数年ぶりに待ち合わせたのは墓地の駐車場。
記憶とはありがたいもので、彼らと濃密な時間を過ごしていた30年以上前に、ひょいと戻れるのがありがたい。悼む、ただ悼む。亡くなった彼女と、看取った彼のために。


彼とは、きっとこの先、再び悪友として時間をともにすることが多くなるのだろうと思う。
いつもその年齢にふさわしい最適解を求めてきたつもりだが、初孫をむかえ、黄泉の国へ旅立つ人を送り出し、そして悪あがきしながらも、自分もその日に向かって、答え探しをする毎日。これぞ、年齢にふさわしい毎日の過ごし方なのだと、一人納得していた今日だった。

ここから始まる物語

4月にひょんなことから山登り(山歩き)に目覚めた今年。
コツコツと道具を用意し、街中の丘陵地を毎週末めぐること数か月。
いよいよ行ってまいりました、本物の山に。


思いましたね、山に関しては道具って大切だということ。
靴とリュック、それにウェアもか。もしかすると、すべての装備品かも。


でもやはり、靴の重要性は、今回でよく理解できました。ごつごつした岩場、傾斜のあるぬかるんだ場所、下りでのソックスの重要性。そして、山歩きでのリュックの担ぎ方、荷物のまとめ方と、いろいろあるわあるわ!


孤独で寂しい独り歩きが大好きな私ですが、臆病者でもありまして、しばらくはグループに混ぜていただいて、基本のきの字を勉強。本当のおたのしみはそれからそれから。


今回、リーダーの方が、スズメバチに襲われ、途中リタイア。私の目の前で起きたアクシデント。自然の怖さの一端をまさしく垣間見ました。


その後、サブリーダーに連れられた私たちは、後半に道迷いになってしまい、一瞬これまた自分一人なら、どうしただろうと、ある意味貴重な経験を。


好きな歴史の中で知った、江戸時代の参勤交代での一日の歩行距離は、約40キロ。これが山歩きとなると、ほぼ10キロ程度が限度かと。


あぁ楽しみだ、これから。いろいろ覚えて経験して、60代最後には、冬山が出来る自分になっていたいと。バイクにするか、登山にするか少々迷った時もありましたが、もう山一択で決めました。


そういえば、このところ嫁さんがさっぱり口をきいてくれないのは、このせいなのかなと思いながら、まぁいいやと、好きなことさせてね、とテレパシーでお願いしておきます。

気が付くとややこしいことに

この年末年始の予定が決まりつつある。


遠方に住む長女が孫を連れて、クリスマス後に即行帰省するとのこと。うれしい。


しかし、ちょっと待った。私には高齢だが妙に元気な父母がこれまた遠方にいる。


どうしよう。


このところコロナが邪魔しているが、それまでの数十年、かならず正月は田舎で過ごしていた。


どうしよう。


この夏は、直前にあちらからの希望で、帰省を中止としていた。う~ん、父母には申し訳ないが、帰省をあとにずらして(コロナのせいにして)孫との濃い時間をおくってみたい、というのが、本心ではある。さて、どうなることか。