gyutanyaroのブログ

日々のつれづれを。

いよいよ携帯の会社がかわるにあたり

はじめて携帯電話を見たのは、前職時代、会社の地下1階レストランで食事中、となりの席のどなたかがショルダータイプの電話を持っていたのがおはつ。


そのあと少しして、いわゆる携帯電話になり。なぜか、身銭を切って持ったのでして。
そして、会社を変わり営業必需品で使いまくっていました。


そして2,000年代にはいって、iPhoneの登場で、パソコンのような機能をもった電話に進化しはじめましたよね。


今や、齢90歳を超えた我が父親も、持つのはスマートフォン。もっぱらひ孫の写真を見るための役目のみですが。


さて自分の話。付き合いよろしくセルラー以来のauユーザーの私。しかし、いよいよその時が迫ってまいりました。


今月から、お手当がハーフサイズになったことから、削られるものはすべて削る、との家内の指令により、まず、私のスマホを格安タイプに。どうも、これ世間の常識のようで。


さくっと、半分くらいの金額になるのね、これが。半分になるのは、私のお手当だけではなかった!(親近感あり)


たぶん、次のミッションは、保険関係だと予測している。そして、さらにその次は、食事のボリュームか。伏線は、あったのです。アルコールは、週末だけと、きつくお達しが。


あぁ、私の月のお小遣いは、さっそく3分の2という微妙な決定に。半分でないところに、家内の愛情を感じる、めでたい私でありましたとさ。

ひとには優しく

詳細は、省きますが、昨日の朝つくづく感じたのは、他人には、やさしく接することだなと。
その出くわした場面から一息ついてから、よかった~よかった~と心の中で100回は唱えた自分でした。もし、この1年の中で、「うるさい」とか「静かに」などと、けんつくしていたら、昨日のあのことは、なかった。


気に入らないことが有っても、じっと我慢が一番。多少のストレスは、自分の心の修養と考えて、とにかくじっと我慢。それが、最良の選択だぞ、と。


自分の自我のなせる業か、時にして自分でも驚くほど、他人に厳しくなる時がある。特に自分のペースを乱されるような場面では、てき面だ。でも、そうそう悪い人は、自分の周りにいないではないかと思う。だから、おだやかにおだやかに。


詳細を伝えられないほうが、ストレスだ、とは皮肉だが、まぁこれも修養だな。

さらに、徒然なるままに。

まもなく90歳を迎える母がいる。
数年前にすでに結婚した私の娘のことが心配で、眠れないという。


あんなに活発だった子供時代なのに、今、声が元気ないし、そもそも最近、電話にでない。
(おいおい、でてやれよ)


思えば、なんとなく線の細いこどもこどもしている娘である。
母の好きなタイプではない。母は、快活で少し声の大きな女性を好む。


だから、娘たちからこのところ、わたしの両親は敬遠気味だ。
娘たちは、ずかずかとプライベートに踏み込まれることを凄く嫌がる。


私は、良き息子と良き父親を演じて来たが、少々ほころびがでてきているように感じる。
母からは、いつまでも思い描く孫の姿にならないことに父親の不甲斐なさを責められ、娘からは、祖母のかなりおしつけがましい好意が疎ましく感じられ、パパ、どうにかしてよ、と。


私は、相変わらずこのところすこぶる健康で寝つき良し、それだけは親に感謝、娘も350km離れて生活していることで助かっている!プロレスならば、ロープで助かった、という毎日である。これだから、ダメおやじなんだろうな。